生き物の名前を知ると、モノクロな世界に色が付く。
生き物の名前を知ると、モノクロな世界に色が付く
浜松科学館自然観察園の身近な生き物や、生き物同士のかかわりをご紹介している本アカウント。開始して半年が経ち、フォロワーさんも100名を越えました。本当に有難いことです。筆者としましても、とても励みになります。お礼申し上げます m(_ _)m
さて、先日「身近で気になる野鳥ランキング Best50」がnote編集部の今日の注目記事に選ばれました。多くの方々の目に触れることとなり、とても嬉しく思っています。
野鳥然り、生き物の名前(種名)を知ることは、とても楽しいことです。
例えば、通勤・通学や、お散歩ルートで見かける野鳥たち。種名が分からなければ、羽毛をもつ空飛ぶ生き物として脳内で一括りにされてしまいます。
一方、種名を知ると、それぞれの野鳥を認識でき、思わずスキップするくらい楽しい気分になります。
野鳥に限らず、種名を知ることで生き物たちの多様性に気が付きます。すると、モノクロな世界に色が付くかのように、日々の生活が豊かになります。
つい最近、筆者も「地衣類(ちいるい)」の種名を覚え始めて、身近な環境にもたくさんの生き物がいることを再確認しました。今回は、筆者が生き物の多様性を感じたその過程を興奮気味にご紹介したいと思います。
地衣類とは、どんな生き物?
まずはいつもの自然観察園で生き物を探してみましょう。
冬に花が咲くヤブツバキ、サザンカなどの常緑樹。
葉が落ちたコナラ、ケヤキなどの落葉樹。
それらの木々へ飛んでくるヒヨドリ、メジロ、キジバトなどの野鳥たち。
視線を落として道端の石をひっくり返すと、びっくりしたオカダンゴムシ、チャコウラナメクジがモゾモゾと動き始めました。
自然観察園で顔なじみの生き物たち。毎日のお散歩コースで常連の生き物へ挨拶するのは良いものです。一方で、新しい顔との出会いがないと、生き物観察に少し飽きてしまうこともあります。
そんな時は生き物を探す解像度をいつもより上げることをお勧めします。身近にいるけれど気が付きにくい、息をひそめて潜んでいる生き物たちを探してみましょう。
例えば、コナラの樹。
あらためてじっくり眺めてみると、樹皮に灰緑色の模様があることに気が付きます。
これも立派な生き物。今回の主役「地衣類」です。
「これは地衣類です」と説明すると、十中八九「地衣類?コケのことですか?」と質問が返ってきます。
生物学的には、地衣類は菌類に属するグループです。
対してコケは蘚苔類(せんたいるい)という植物の仲間。
全く異なる生き物なのです。
菌類とは、いわゆるキノコ(大型の子実体を作るグループ)や、カビ、酵母などから構成されます。キノコは食材として、カビは食材やお風呂場に生えるちょっと迷惑な存在として、酵母はパンやお酒作りの材料として、それぞれ一般的に認知されているかもしれません。では、地衣類はいかがでしょう。聞いてもぱっとイメージが浮かばない方が多いのではないでしょうか?
地衣類は、菌類の中で「藻類」と共生しているグループを指します。
地衣類の前に、簡単に藻類の説明をさせていただきます。大雑把な分け方をすると、細胞内に葉緑体をもち、光合成で栄養を生産する生き物たち。そこから蘚苔類(いわゆるコケの仲間)、シダ植物(ゼンマイ・ワラビの仲間)、維管束植物(いわゆる植物の仲間)を除いたものをまとめて「藻類」と呼びます。藻類の中にはワカメやコンブなど大きな生き物も含まれますが、地衣類と共生するのは緑藻類やシアノバクテリアなど顕微鏡で観なければ認識できない小さな藻類たちです。
地衣類の断面は、下の絵のようなイメージです。主に菌類の細胞から構成されており、菌類の細胞と細胞の間に藻類が組み込まれている層があります。
地衣類は、藻類が光合成で生産した栄養をもらいます。代わりに藻類は、地衣類から居住地をもらい、乾燥や紫外線から身を守ります。まさにギブアンドテイク。過去にご紹介したモンパキンとカイガラムシと同様に、互いに利益のある「相利共生」の関係性ですね。
ではさっそく図鑑を参考に皆さんと地衣類を観察していきたいと思います(色々と書いてきましたが、筆者は地衣類観察の経験が少ない素人です)。
同定に際して、Twitter のハッシュタグ #地衣類GO へ投稿し、地衣類に詳しい方々からたくさんの貴重なご意見をいただきました。この場をお借りして、お礼申し上げます。
※以下に地衣類の拡大写真を掲載します。
集合体恐怖症の方はご注意ください。
実は、身近にたくさんいる地衣類
自然観察園のコナラの幹に付いていた地衣類は、レプラゴケの仲間です。
◆ レプラゴケの仲間
灰緑色の地衣類で、粉を吹いたような形態です。薄暗い場所を好み、岩肌や樹皮に生えます。自然観察園はかなり成長した樹が多く、太陽光が遮られているので、レプラゴケの仲間にとって過ごしやすい環境なのかもしれません。
では次に、サイエンスパークへ移動してみましょう。
サイエンスパークは日当たりが良いので、薄暗い自然観察園とは違った種類の地衣類が見られるかもしれません。
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普段から眺めているはずのサイエンスパークのケヤキの樹。
あらためて見てみると…
白色!黄色!灰緑色!緑色!
とてもカラフルなことに気が付きます。
地衣類や他の生き物がたくさん写っていそうですが、あまりに多様で全てを把握できそうにありません。
そこで筆者の小指の先の面積(2cm×2cm)を切り取って撮影してみました↓
この写真に写っている地衣類の特徴(色、形、大きさ等)をしっかりと観察して、図鑑で種名を調べてみしょう。
◆ クロムカデゴケ
灰緑色の地衣類です。ケヤキやイチョウなどの街路樹や、石垣、コンクリートの上に生えます。裂片(れっぺん)と呼ばれる端の植物の葉のような形の構造は、1枚1枚はっきりと分岐する傾向があります。
◆ コフキメダルチイ
白色の地衣類です。クロムカデゴケよりも白色が強い傾向があり、裂片の1枚1枚がはっきりと分岐しません。裂片の表面に粉霜(ふんそう)と呼ばれる粉状の点刻があることがあります。クロムカデゴケよりも樹の幹へしっかり張り付いている様に見えます。
◆ ロウソクゴケ
黄色の地衣類です。岩上、コンクリート上や、街路樹のケヤキの樹皮でよく見られます。和名は中世ヨーロッパでキャンドルを作る際に染色する素材として用いられていたことに由来します。
素人ながら、これらの3種の地衣類を同定することが出来ました。以上の同定ポイントを踏まえて、あらためて小指の写真を見てみましょう。すると、上記3種の地衣類が入れ子上になって共存していることが分かりました。
まるで、世界地図のようですね!↓
ちなみにケヤキの遠景写真で緑色の部分は蘚苔類です。上述したように蘚苔類は地衣類と混同されやすいのですが、植物の仲間。蘚苔類も同定できるよう、勉強中です。
さらに樹皮をめくってみると、ダニの仲間、フサヤスデの仲間、クロハナカメムシなど様々な動物が越冬していました。
街中の1本の樹は、たくさんの生き物たちの拠り所になっているのですね。
人々の生活にかかわってきた地衣類
美しいキャンドル。
このキャンドルは売り物ではなく、ハンドメイド。筆者が手作りしたものなんですよ。先ほど登場した地衣類:ロウソクゴケを使って白色のロウソクを黄色に染めてみました。野外観察を楽しみつつ、キャンドル作りを嗜んでみてはいかがでしょうか?
ロウソクゴケは中世ヨーロッパでキャンドルの染色に用いられていました。その記録は、生き物の分類学の父と呼ばれる"カール・フォン・リンネ"の報告にまで遡ります。1741年から1749年の間、リンネはスウェーデンへ数回訪問し、その地域で用いられている植物染料に強い関心を持ちました。そして、1741年5月27日、スウェーデンのLenhovdaという地区で、ロウソクゴケもしくはその仲間の地衣類が伝統的に植物染料のように使われている様子を記録したのです。
この記録を読むと、地衣類、獣脂、トウヒの樹脂など、昔の人々は様々な生き物から直接的に恩恵を受けて、もの作りをしていたことが分かります。当時の人々は現代よりも身近な生き物を意識して、自然との心情的な距離感も近かったことでしょう。
ご家庭でもロウソクゴケを使ったキャンドル作りを体験することが出来ます。市販のロウソクを溶かし、そこへロウソクゴケを入れると黄色に染色されます。それを型へ流し込み、冷やして固めたら美しい黄色のキャンドルの完成です。作り方の詳細は地衣類図鑑、「街なかの地衣類ハンドブック」をご参照ください。
ロウソクゴケの他にも、ヒトとかかわりのある地衣類として海外に分布するリトマスゴケがあります。本種はリトマス紙の染色に使用されてきました。酸性の液体に浸すと赤色になり、アルカリ性では青色に変色します。皆さんも理科の授業でお世話になったのではないでしょうか?
普段あまり注目されない地衣類ではありますが、様々な場面で私たちの生活に恩恵をもたらしていたのですね。ロウソクゴケやリトマスゴケは、生物多様性が人間社会へもらたした恵みの一つです。今回の記事では内容が膨らみ過ぎないようあえて生物多様性という単語を使いませんでしたが、また折を見てその大切さをお伝えしたいと思います。
おわりに
筆者自身、本格的に地衣類を同定するのは今回が初めての経験でした。まず、図鑑で地衣類を同定する際に必要な形質を学びました。形、色、樹にピッタリと張り付いているか否か、コロニーの形など、外見だけでも様々な特徴があります。それらを意識して樹皮を覆う1枚の地衣類の塊を眺めてみると、まるでそれぞれの種が意思表示をするかのように浮き出てきました!
また種名を認識することも大切です。単純に多様性を捉えるだけでは、最初にケヤキの幹を眺めたときに感じたように、雑多な一つの集合体で終わってしまいます。
なぜA種はこの様な形をしているのか?なぜB種は日当たりの良い場所に多いのか?なぜC種とD種は一緒にいることが多いのか?E種は○○時代に○○へ使われていた。
この様に種名を認識することで、初めてそれぞれの種と向き合うことが可能になります。生物学的、生態学的、歴史学的な背景が付加されて、種としての深み、重みを認識することが出来るのです。
並木道を歩いた際は、街路樹の地衣類の多様性に注目してみてください。そして、ロウソクゴケを見つけたら中世ヨーロッパのロマンを感じてみてください。きっと、いつもと違ったお散歩になることでしょう (^^♪
参考資料
ÅSBERG, M. & STEARN, W. T. Linnaeus’s Öland and Gotland Journey 1741. Biol. J. Linn. Soc. 5, 1–107 (1973).
Svanberg, I. The use of lichens for dyeing candles : Ethnobotanical documentation of a local Swedish practice. Sven. Landsmål och Sven. Folk. 133–139 (1998).
Ohmura, Y. & Fujino, R. Dyeing candles with lichens. ライケン 18, 28–30 (2015).
大村嘉人. 街なかの地衣類ハンドブック. (文一総合出版, 2016).